2014年6月アーカイブ

時間ノ不思議

先日、机の傍らの本棚に置いたアナログ時計が止まってしまいました。
電池切れたかなと、買い置きの電池が無かったと記憶していたから暫く放置していたんですが...、かなり遅くゆっくりと動いていたのでした。
(電池の時計ではよくある事ですよね)

そのまま1日程立った時にふと見ると、正確な(といってもこの時計の癖で常に2分くらい進んでいる)時刻を示していました。
大幅に遅れて(或いは進んで)たまたま時刻が合ったんだな...と思っていました。

しかし、それから時計は私が就寝するまでの6時間以上正確に時を刻んでいたのでした。

私は、電池切れを認識してからは一切時計に手を触れていません。
また、この時計は正真正銘のアナログで手動で時刻合わせをするものです。

電圧不足だったのが何かの拍子に動き出したのだとしても、時刻を合わせる機能は???

そして、翌朝見ると、2時22〜3分を指して止まっていました。
暫くそのままだったようですが午後にまた動き出し、夜になって9時22〜3分で止まったままです。

↓正確に動いた時に撮影。
実はヲタクアイテム、笑。
IMG_4600.jpg


よく言われる、
「時間は幻想です」
という、そんなメッセージでしょうか?
何なのでしょうか?

もし、機械的な偶然だとしても、全ては意味がありメッセージであるというから......何なのでしょうね???
殆ど不思議なことが起こらないので、意味も解らずおもしろがっていたのでした。
笑。

夏至

今日は夏至です。

毎年夏至というとあまり晴れていない感じですが、今年も太陽が出たのはほんの少し、今は雷雨です。
(梅雨の雨ってしとしとともっと穏やかに降る感じなのに、近年は激しいですね)

そして、何となく特別な日という気がして、出来るだけハーブ類などを収穫するようにしています。
どこかの本で、新月の日にハーブを収穫するといいとか(うろ覚えです)...そんな感じに似ています。
笑。

今年は、というよりも今年も、庭に生えている"どくだみ"を採りました。
あの大雪のせいか、春先寒かったせいか、いつもよりも丈が短い気もします。
ハート形の葉っぱと白くかわいらしい花の外観から似合わない臭いがし、知らなかったら
「これ毒草なの?」と思っていたかもしれません。

↓束にして、これから干すぞーというところ。
どくだみ.jpg世間では「植物由来」がいいとか十把一絡げの風潮も見られるけれども、毒草も毒キノコもあるように、間違えば大変な事にもなるんですよね。
昔の人がどうやってそれらを見分けたのか...?と、それは尊い犠牲の上なんて、まあ普通に考えたらそうですが、私はそうでもないのでは?と思っています。

中には超感覚で見分けが付けられた人も居ただろうなぁ......と。
あと、精霊ちゃんに教えてもらったとか。
そうだったら、便利でいいな〜はもとより、それこそワンネスじゃないのかな?と憧れます。
信じない方には、こんな話を書いているこのブログはそれこそお花畑そのものでしょうが、苦笑。

でも、小学生の頃に読んだ椋鳩十さんの"海上アルプス"に、確か屋久島で樹を伐る時は斧を立てておいてその斧が倒れた樹を伐る...と、確か読みました。
(ウソだったら、ごめんなさい)
あの頃から、屋久島は憧れの島でしたが、一度も足を踏み入れる事も無いままにこんなにメジャーになってしまいましたー。
精霊さんはまだ居るのだろうか?と、気になります。
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書きたい事は色々と思い浮かぶのに、さてどうしよう...とうろうろしています。
笑。
気構えないで、そのとき思った事を書いていけばいいんですよね。

梅雨の晴れ間は、夏を思わせる日射しとまだ春の名残もある緑が相まって、本当に清々しい活気があります。
なのですが...、今年は毛虫がやたらに多くて、あちこちに居るのでぎょっとします。

私は、虫は居て当たり前だと思っているので、見なかった事にして放置です。
(まあ、数少ない栽培植物についていたら、取って適当な所に移しますが)

しかし、見かねた家族が遂に薬剤散布してました。
あああーーーー。
撃沈です。

うちは多分10年以上薬剤無しでやってきたので、ここに来て......とがっくり来たのでした。
でも、私がそれについて口出すと大げんかに発展しかねないので、無念を自覚しつつ冷静になるようつとめて引き下がりました。

まあ、大散布では無いのですけれども。
まだ青くて小さい実をつけた琵琶の樹にも撒かれてしまい、これで琵琶の葉も使えない...と思ったら尚一層落ち込みました。
その薬剤は「実には作用しない」と言う事らしいです。

でも!なんです。
殺虫剤って「虫を殺す為」のものですよね。
つまり、「殺す」という目的を持った時点で、それはそういうものなのだと思います。
世界は意識で出来ているものなのだから、「殺す」という意識を持ったものなのではなかろうか?と。
ですから、たとえ他に作用しないとか言われても、やはりかけられた側にとっては「攻撃された」のではないでしょうか?

世間の何とかスプレーなど作っていらっしゃるメーカーさん(なかなかすてきな名前のところも。そのもの地球だったり、不死鳥にも通じていたり)で、虫が来ないとか謳っておられますが、
「虫が居ちゃいけないんですか?」と、ああいう製品が存在しない世界が来るといいと真剣に思います。

この事について書き出すと長くなりすぎるので、この辺で今日は終わりにしておきます。

☆たまたま手に入った銀手亡豆とうちで採れたラディッシュ
写真だと大きく見えますが、豆は小振りの大豆程です。↓
銀手亡と赤大根.jpg
ラディッシュの葉は、刻んで塩をしてオリーブオイルでいためだだけですが、味がとても濃いです。
ラデッシュは生が好きです。
銀手亡豆も、ただ塩もせずに煮ただけなのに滋味があって絶品です。

☆銀手亡豆の芽↓
銀手亡の芽.jpg
無農薬栽培の豆だという事で、撒いてみたら芽が出てきました!
貴重品種らしいので、うちで増やせたらいいなぁ〜。
私の栽培方法は、基本的に最小限しか手を加えません。
無精者、笑。

仮想現実の境目?

少し前、この時季にしては暑い日が続いていました。
とは言え、夏のような薄掛けだけで眠ったらさすがに風邪ひくと、まあこの時季に合わせたつもりの布団を使っていたわけですが、思いのほか暑かったんです。

案の定、朝方、布団をはぎかけ寝返りながら目が醒めました。
「暑~い、暑~い」
耳に入った自分の言葉に、妙な違和感を感じました。
意味が理解出来ないような、聞き慣れない言葉を聞いているような感じで、
『何て言ってるんだろう???』
と、少し混乱したのでした。

すぐにそれは元に戻りましたが、こんな感覚は初めてでした。

寝ぼけていたと言ってしまえばそれまでですが(笑)、こんな単純な日本語が理解出来ない意識状態って何だろう?と不思議なんです。
自分が発した言葉である上に自分が言っているのも判っていたのに、一瞬ですがとにかく耳にした事が無いような言語みたいに感じました。

ここで考察というか、仮説。
眠っている時は変性意識で(多分身体を離れていた)、言語を必要としないか形態が別になるから、いきなり(身体に)戻ってしまい解らなかった...のかもしれない。
チャネラーさんがその方の使用言語で喋るのと一緒かな?と。

映画のマトリックスとかアバターみたいなものかもしれません。
ゲームのコントローラーを持った自分が中のキャラとなじめなくて「あれ?」と思った瞬間、身体にしっかりと意識が入っている時とそうではない時の境目をちょっと覗いたのかも!しれません。

こう想像したら、楽しくなりました。
自分が、肉体以上の存在だというのは解っているけれども、その証拠みたいなことが起きたんだ!と。
そういう能力はほぼ持って来なかった(残念!)ので、ちょっとしたこんな事でも嬉しいのでした。

でも、ただ寝ぼけただけかもしれないし、真相はナゾです。
どちらにせよ、おもしろかったのでそれでよし!です。

↓全く文とは関係ありませんが、6月はバラの季節です。
昔からあるうちの紅いバラ。
IMG_4504.jpg

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いざブログを書こうとすると、何を話題にしたらいいのだろう?と、やはり最初は思います。
笑。
少しの緊張感から、文体も「です、ます」で〆ていますが、きっとそのうちもっとおおざっぱになるんじゃないかと予測しています。
その時は、独り言だと大目に見ていただけると有り難いです。


最近、夢をよく見ます。
というよりも、よく憶えているといった方が良いのかもしれません。
私の場合は、昔から象徴的な内容が殆どで
「どういうこと???」と、目醒めた後に思い巡らせてしまうのでした。

でもこの頃のは、内容がこれまでのごくパーソナルな事というよりも、パーソナルなんだけれども世界との関わりも含めている感じがします。

さて、今日起きた時に憶えていた夢は、懐かしい友達が出てきたものでした。
大筋しか憶えていないのですが、
その友達と再会するも、彼女が3×2mくらいの長方形の蓮池に落ち、私は濡れてしまった彼女の為にそこから離れたデパートのような処にお湯を取りに行く...
という内容でした。

蓮池は商業施設内にある人工的な遊歩道っぽい処にあり、そこからお湯を取りに行っても時間がかかる上に何度も往復しなければ足りないし、これじゃあ間に合わない、そのうちに何とかなってしまうだろうと思っていました。

解釈は......、どうにでも取れますけれど(全然違っているかもしれません、笑)、
人工的な蓮池や商業施設というのは「現代の様相」で、
蓮池はそこから立ち上がる「新しいものや意識」と曖昧に意味付けしておきます。
私の取った行動は、デパートに行ったというのが現代文明の象徴のような旧来のものにつてを求めたとすると、これは
「常識的なものは役に立たない」というメッセージかもしれません。
また、久々に再会した旧い友達はその通り、かなり意味深かもしれないですね。
けれども、詳細が思い出せないのでやっぱりどこかあやふやです。
苦笑。

それはともかく、彼女とは彼女が小学校2年生の時に転校してしまって以来会っていません。
少しの間は手紙のやり取りもあったのですが、途絶えてしまいました。
小学校入学で初めて知り合った友達なので、実質2年弱しか付き合いがありませんでした。
それでも、不思議な程にウマがあったというか本当に仲良しだったのです。
(...以降、小学校では彼女くらい心から打ち解けられた友達は居なかったんです。寂しい子供時代ですね、苦笑)
縁は過ごした時間の長さじゃないと思う典型例です。

ただ今日は、夢の余韻がひたすら懐かしくて、彼女、やすえちゃんが今どうしているのだろう...とそんな郷愁に駆られた日でした。
梅雨入り前の、少し暑いけれど心地の良い空気が柔らかく、そっと傍に佇んでいる何かを想い出すような懐かしさにまた拍車をかけたのでした。

IMG_4482.jpg
去年、種から育ってくれているうちの蓮。
今年は花が咲くといいな〜!
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